幕末から明治にかけて活躍した漂白の画家・蓑虫山人、高浜虚子の高弟・河東碧悟桐など、歴史的な文化人にゆかりある櫻山庭園。樹齢数百年の樹木は、羽後町の歴史と文化を見つめてきました。世界的に注目を集める西馬音内盆踊りも、そのひとつ。昭和の時代を作り上げてきた多くの作家が、羽後町に惹かれ、足しげく通ったといわれています。

光り輝く千坪の櫻山庭園には、樹齢数百年を経たケヤキの巨木のほか、山のように咲き乱れる桜の木々が立ち並びます。

雪化粧の静謐な櫻山庭園。純白の雪と木々の黒々とした幹が、墨絵のような、凛とした美しさをつくりあげます。

人口5,000人余りの西馬音内に、年に一度、夏の3日間で15万人余りもの人が訪れます。人々が目指すもの、それは、中世の昔から続いてきたと言われる、西馬音内盆踊り。
秋田の地に生まれ育った抜けるように色の白い肌の女達が、笠を立てて深くかぶり、決して顔を見せることなく、踊りつづける。「端縫い」と呼ばれるパッチワークのような独特の衣装は、祖母から母へ、そして娘へと、形見として受け継がれています。
この西馬音内盆踊りは、重要無形民俗文化財として国の指定を受けており、海外からも注目を浴びています。伝統芸能の伝承と保存の難しさが論じられる現代において、ハンガリー、パリ、韓国などでの公演も果たし、次代への継承も確実に行なわれています。こうして国内外から注目を集める西馬音内盆踊りは、古くから芸術や文学に関わる人々の心をひきつけてきました。
江戸から明治に変わる頃、漂白の画家・蓑虫山人も、東北を旅する中で、この地に立ち寄りました。千坪の櫻山庭園は、この蓑虫山人の設計と言い伝えられています。事実、この庭を描いた蓑虫山人の軸が、西馬音内の資料館に保存されています。
明治に入ると、高浜虚子の高弟としても著名な俳人・河東碧悟桐が、櫻山庭園に滞在し、句会を10回も催したそうです。碧悟桐の紀行文『三千里』には、「初めて絵になる盆踊りを観た」と記されています。明治維新の折り、江戸を東京と名づけた羽後町出身の学者・佐藤信淵の文庫も櫻山庭園に置かれており(いまは信淵神社に移転)、そこに河東碧悟桐の句碑が今も残っています。
西馬音内にある、明治からつづく旅籠屋が、櫻山の母体となりました。櫻山の女将の父である、旅籠屋の四代目は、多くの文人との交流がありました。世界的な版画家・小野忠重や直木賞作家・藤原審爾が、作家・阿佐田哲也、作家・高橋治、映画監督・山田洋二らを伴って、その旅籠屋に何度も訪れました。その宿帳には、多くの文化人やアーティストたちの足跡が残されています。その旅籠屋の持つ歴史と文化を背景に、西馬音内の文化史の受け皿となってきた庭園で、私たちは新しい文化の担い手として、皆さまのお越しをお待ちしています。


端縫いと呼ばれる独特の衣装をまとい、編み笠を深くかぶり、舞う乙女たち。あの世とこの世を結びつける幻想的な踊りが、秋田の夜を艶やかに彩ります。

俳人・河東碧悟桐をして「初めて絵になる盆踊りを観た」と言わしめた、わが国屈指の幻想的な盆踊りは、重要無形民俗文化財に指定され、世界の目を集めています。