文化と歴史の園

幕末から明治にかけて活躍した漂白の画家・蓑虫山人、高浜虚子の高弟・河東碧悟桐など、歴史的な文化人にゆかりある櫻山庭園。樹齢数百年の樹木は、羽後町の歴史と文化を見つめてきました。世界的に注目を集める西馬音内盆踊りも、そのひとつ。昭和の時代を作り上げてきた多くの作家が、羽後町に惹かれ、足しげく通ったといわれています。

櫻山庭園

千坪の広大な櫻山庭園

秋田県南部の内陸、かまくらで有名な横手から30分ほど車で走った羽後町の中心部、西馬音内(にしもない)に、千坪もの広さを持つ櫻山庭園があります。幾人もの大人が手を繋いでようやく一回りできるほどに太く大きな、樹齢数百年ものケヤキ。そして、春にはこんもりとした薄紅色の山のように見えるほどの桜の木々。その彼方に沈む夕日。豊かな自然を借景とし、人の手によって計算された庭園が構築されています。

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光り輝く千坪の櫻山庭園には、樹齢数百年を経たケヤキの巨木のほか、山のように咲き乱れる桜の木々が立ち並びます。

雪化粧の静謐な櫻山庭園。純白の雪と木々の黒々とした幹が、墨絵のような、凛とした美しさをつくりあげます。

西馬音内盆踊り

重要無形民俗文化財・西馬音内盆踊り

人口5,000人余りの西馬音内に、年に一度、夏の3日間で15万人余りもの人が訪れます。人々が目指すもの、それは、中世の昔から続いてきたと言われる、西馬音内盆踊り。

秋田の地に生まれ育った抜けるように色の白い肌の女達が、笠を立てて深くかぶり、決して顔を見せることなく、踊りつづける。「端縫い」と呼ばれるパッチワークのような独特の衣装は、祖母から母へ、そして娘へと、形見として受け継がれています。

この西馬音内盆踊りは、重要無形民俗文化財として国の指定を受けており、海外からも注目を浴びています。伝統芸能の伝承と保存の難しさが論じられる現代において、ハンガリー、パリ、韓国などでの公演も果たし、次代への継承も確実に行なわれています。こうして国内外から注目を集める西馬音内盆踊りは、古くから芸術や文学に関わる人々の心をひきつけてきました。

西馬音内盆踊りとアーティストたち

江戸から明治に変わる頃、漂白の画家・蓑虫山人も、東北を旅する中で、この地に立ち寄りました。千坪の櫻山庭園は、この蓑虫山人の設計と言い伝えられています。事実、この庭を描いた蓑虫山人の軸が、西馬音内の資料館に保存されています。

明治に入ると、高浜虚子の高弟としても著名な俳人・河東碧悟桐が、櫻山庭園に滞在し、句会を10回も催したそうです。碧悟桐の紀行文『三千里』には、「初めて絵になる盆踊りを観た」と記されています。明治維新の折り、江戸を東京と名づけた羽後町出身の学者・佐藤信淵の文庫も櫻山庭園に置かれており(いまは信淵神社に移転)、そこに河東碧悟桐の句碑が今も残っています。

西馬音内にある、明治からつづく旅籠屋が、櫻山の母体となりました。櫻山の女将の父である、旅籠屋の四代目は、多くの文人との交流がありました。世界的な版画家・小野忠重や直木賞作家・藤原審爾が、作家・阿佐田哲也、作家・高橋治、映画監督・山田洋二らを伴って、その旅籠屋に何度も訪れました。その宿帳には、多くの文化人やアーティストたちの足跡が残されています。その旅籠屋の持つ歴史と文化を背景に、西馬音内の文化史の受け皿となってきた庭園で、私たちは新しい文化の担い手として、皆さまのお越しをお待ちしています。

幕末から明治の伝説的な漂白の画家・蓑虫山人設計の庭園と、高浜虚子の高弟・河東碧悟桐ゆかりの対川荘。櫻山庭園には、歴史と文化のたたずまいがあります。

端縫いと呼ばれる独特の衣装をまとい、編み笠を深くかぶり、舞う乙女たち。あの世とこの世を結びつける幻想的な踊りが、秋田の夜を艶やかに彩ります。

俳人・河東碧悟桐をして「初めて絵になる盆踊りを観た」と言わしめた、わが国屈指の幻想的な盆踊りは、重要無形民俗文化財に指定され、世界の目を集めています。